鞄の歴史から日本を見る
鞄(かばん)の由来
文字の由来
革で包むと書いて、カバン。
オランダ語のkabasが由来などと言われています。
西洋文化の影響が強いです。
初期のころは手胴乱(どうらん)
江戸時代よりちょっと前の戦国時代、火縄銃などの頃。
鉄砲の弾を入れたりするものが、革製や布製の小袋であり、これを胴乱と呼んでいたようです。
ポルトガルやオランダからの影響をこのころに強く受けています。
明治時代になって
江戸時代は鎖国をしていたので、発展が鈍化していたのですが、明治時代1868年より14年前にペリーの黒船が1854年に来て、日米和親条約が結ばれたことで西洋文化がそれ以前よりもドッと入ってくるようになりました。
初期の鞄
明治初期、明治10年頃に西洋文化が日本に入ってきたことで、今の形に近い学生鞄の姿に進化していくことになります。
始めは取っ手のついていない織布で作られたものが学生鞄のメインでした。
初期の頃の学生鞄は、B5やA4サイズが収まるくらいのサイズで、取っ手のない、クラッチバッグのような形のモノでした。
素材
「ズック」と聞いてピンと来るでしょうか。
ズックとは、粗めの麻布で作られたものや、鞄や、靴などを指します。
一番イメージしやすいのは学校の上履きです。
数年たつと
学生鞄の登場から数年も経つと、麻の素材からやがて牛革などが使われるようになりました。
さらに数年もすると、肩掛け式のヒモが付いたものが流通するようになります。
今でいうショルダーバッグの始まりです。
初期のショルダーバッグ
雑嚢(ざつのう)と呼ばれ、雑多なものを入れる袋として広く使われました。
素材は硬い麻の生地で作られたものもあり、丈夫なため、日本軍の装備品として重宝されました。
色は緑がかったミリタリー感のあるものです。
軍事利用が当時のショルダーバッグの主かと思いきや、学生の間で流行し女子用の雑嚢や子供用のものなど、広い世代に活躍するようになりました。
昭和半ばから人工皮革の鞄が登場
昭和の半ば昭和30年代ごろから人工皮革の鞄が作られるようになりました。
現代のスクールバッグなどの形の原型です。
素材の元は革、本革。
当時の革と言えば牛革がメインでしたが、日本では戦時中に製品規制というものがあり一般消費者向けの生産が難航します。
製品規制とは、いわゆる、この材料はこの分野、業界、軍事にどれくらいの量を使いなさいと国により割り当てられることです。
この規制により、生産者側が欲しい素材が手に入らず、人工皮革の開発、工夫がなされ牛革の代用がなされます。
やがて、本革より安価に作れることから、大量生産されて、現代のモノが溢れる世の中になったわけです。
鞄のルーツを知ると、鞄のことがもっと好きになりますね!
モノが溢れる世の中だからこそ、良いものが作れると確信し、カバンの企画の活動をしています!
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カバンも色々歴史があって今の形に繋がってるんですね。勉強になりました